tamasaki-riumachiの日記

29歳で関節リウマチになりました。日々の症状や治療方法を綴っていきます。

【番外編】今日は第三子の誕生日、そして命日


リウマチのことが主ではありませんが、今日は我が子のことを書かせてください。

今日は第三子の誕生日、そして命日です。
出産予定日であった12月24日を過ぎてからはそれまでのように泣くこともなくなりました。

それは忘れた訳では決してありません。
毎朝、毎晩、おはよう、おやすみを言っています。
そして子ども達も真似して自分から第三子に声をかけてくれるようになりました。

娘はもうだいぶ理解しているみたい。

今日は家族でお参りをしてきました。
いつもとは違い、備えるための果物やジュース、お菓子やおもちゃを買ってる途中に急に溢れ出てくる涙。

お経を詠んでもらっている間も、涙が止まりませんでした。

あの人生で一番辛かった日から一年。
思い出したくなくても蘇ってきます。

けど、今日という日くらいはどんなに辛くても思い出して泣いてもいいんじゃないかと思ってます。

なので、ここでも振り返りたいと思います。
あの日から何ヶ月か経った頃にSNSに投稿したのがこちらです。


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今年の12月24日、第三子が生まれる予定でした。


【妊婦さん、妊娠する可能性のある方、旦那様方、妊婦さんと接する機会のある全ての方に読んで欲しいです。】


まず、このことを書こうと思ったのは、妊娠したら出産できることが当たり前ではないということ、妊婦さんは自分の身体を守って欲しいということ、周りの方は、妊婦さんを大事にして欲しいということを思ったと同時に、誰にでも起こりうる可能性があると思ったからです。


私は6月27日に、第三子である我が子を、14週、4ヶ月半で流産しました。


もうすぐ安定期に入るこの時期の流産は、流産の可能性が高い時期はもう過ぎていました。


その日の昼、すこーし出血していました。

それは、秀和を妊娠している時も経験がありました。

その時にはすぐに産婦人科に電話し、安静の指示を仰ぎました。


しかしその日は、前にもあったから大丈夫だろう。という安易な考え。もう3人目だから大丈夫というおごり。今考えるとそれが確かにありました。


出血があってからも、安静の「あ」の字も忘れるくらい普通に動き続け、出かけ、夜も家にお客さんを招待していました。


旦那さんと旦那さんの友達が話しできるように、秀和の遊び相手になって、抱っこしたりブランブランしたりしていました。


あー、腰が痛いなー。

と思って座った瞬間、あれ?

やばい、また出血したかも・・・


トイレに行って確認しようと思って、焦っていたのもあり急いでトイレに座った瞬間。

出血の確認とともに、ブシャーってなんか出てきて。

その時は、へ?また出血!?と思ったけど、後から考えたらこれは破水でした。


やばいと思って動けずにいると、なにか出てきた。

やばいやばい、まってまって、と思ってるうちにポチャンってそのなにかが落ちました。


何かあった時のために、トイレに携帯を持って行ってたので、「赤ちゃん出てきたかも」と旦那に連絡。


旦那が赤ちゃんを拾い上げてくれ、お客さんに申し訳なくも帰ってもらい、そこから後悔の嵐。


なんで、?なんで、、、??

あれがいけなかったのかな、

これがいけなかったのかな、、

ごめんね、、ごめんね、、、


小さな赤ちゃんは、小さいながらに、目、鼻、口、耳、手足、指までちゃんとありました。


それから産婦人科へ連絡し、診療所へ向かい、処置がまた痛くて辛かった。


ところどころで実感し、思い出して泣く、の繰り返し。


翌日、ドクターヘリにて搬送されることになりました。


診療所のドクターやナースをはじめ、消防団員の方々、ドクターヘリの医師や看護師さん、那覇の救急隊のみなさま、大変お世話になりました。


ドクターには処置をしていただき、

ナースには同じ女性ということで色々気にかけてくださり、とてもありがたかったです。

島の消防団員には空港までの搬送、そして横になってても、揺れないような運転の優しさをとても感じました。

ヘリのみなさまには、体調の管理、そして声かけをずっとしていてくださり、看護師さんはずっと手を握っていてくださいました。

那覇の救急隊のみなさまには、安全に産婦人科まで送り届けてくださいました。

そして、救急車に乗っていて感じたこと。

なかなか停まってくれない車もいる中で、停まってくれて救急車を優先に行かせてくれた方々にも本当に感謝です。


産婦人科では、無事に手術を終えましたが、天使のように可愛い赤ちゃんの泣き声が、あんなにも辛く思えた日は他にありません。


子ども達を島の方に預け、翌日一緒に船で本島まで、そして病院まで連れてきてくださいました。


秀和はこの日、本島に来る前に島の家で怪我をしたそうです。

テレビの角が目尻辺りに当たり、切れていました。


すぐに治るだろうと思っていたこの傷。

今でも治りません。


第三子が、忘れないでって言っているようにしか見えませんでした。


1泊入院をしましたが、死産届け提出や火葬場との連絡で忙しかったのを覚えています。


12週からは火葬の義務があります。

私たちは14週だったので、私たちにもその義務がありました。


小さな箱に寝かされ、私と繋がっていた胎盤と、お花に囲まれていました。


性別を聞きましたが、時期的にまだわからなかったとのこと。


私たちは、男の子でも女の子でもいけるような名前をつけました。

同じ名前だったりすると嫌だと思うので、名前は伏せておきます。


退院後、すぐに小さな骨壷を探しに行きました。

そして、火葬場へ旦那と2人で向かいました。


辛かった。

早すぎる我が子との最後の別れを惜しみ、何度も泣きました。

そして、旦那と2人しかいないことで、とても心が重かったです。

あんなに小さい子でも、大人と同じように最初から最後までしてくれました。


私たちは、少しでもいいので、灰でもいいので持って帰りたいとお願いしていました。

小さいので残るかわからない、とのことでしたが、小さな小さな骨が残ってくれていました。


私はこの子の骨を入れて指輪を作りたいと考えていました。

肌身離さず持っていたかったのと、自分が死ぬ時に一緒にいて欲しかったからです。

そうでもしないと心が落ち着きませんでした。


それから5ヶ月ちょっと。

やっと指輪ができ、昨日指輪を受け取ってきました。


絶対に指輪を作る!じゃないと嫌だ!

くらいの気持ちはその時よりも薄まっていましたが、それでもやっぱり嬉しかった。

結婚指輪の下にはめてます*


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いつでも見守ってくれてるはず。

そう思います。


そして、今回このようになった原因ですが、

最初は子宮内感染の疑いと言われていました。

ですが、実際はそうではなく、赤ちゃんにはいたって普通で赤ちゃんに原因はなかったとのこと。

そこで言われたのが無力症。


調べると、子宮頚管無力症。

子宮口が緩んでしまって、陣痛などの痛みもなく赤ちゃんが出てきてしまう病気です。


定期的な妊婦健診でも、何の問題もなし!

と言われていました。

だから安心していた部分も多くあります。

ですが、今回こんなことになりました。


何人目でも関係ないんだなって、改めて色々と考えさせられました。


次妊娠したら要注意と言われています。

12週に入ったら麻酔が使えるとのことで、12週に入ったらすぐに子宮を縛る手術をするそうです。


そして、まだ完全に乗り越えたわけではないし、完全に乗り越えられる日なんてないと思っていますが、前を向いて頑張っているところです。


すぐにでも次の子が欲しいと思っていてもなかなかそううまくいくものではなく。

流産後は子宮が綺麗だからすぐに妊娠できる説にも悩まされました。

そして、今月出産予定日があり、この日までにはなんとか。。と思っていました。


それも、予定日を普通の日として迎えられる自信がなかったからです。

もう大丈夫と思っていても、予定日が近づくにつれ、また落ち込んだりしていました。

ですが、今月もできなかったと分かれば、あとは日にちを定めることもなく、吹っ切れることができるんじゃないかなと思っています。


今では、妊婦さんを見ると、ここまで無事に大きくなって良かったね、と思えます。

それと同時に、無理しないでよーって思います。


FBやインスタなどでも、お腹に子どもがいる身体で色んなところに行ったりする人も多く見ます。


それが悪いと言っているわけでは決してありません。

何をしても育つ子は育つし、どんなに気をつけててもダメだったってこともあります。


ただ、こういうこともあるんだということを知って欲しい。

この話をすると、自分も経験あるよと、同じ経験をしたことがあるということを教えてくれた人が何名もいました。


自分が知らなかっただけなんだな。

ということをすごく感じました。


あまり経験したかったことではないけど、だけどこんな経験をしたからこそ、同じような人の気持ちを理解することができるようになったなって思います。


別にこの出来事をみんなに話す必要なんてありません。

だけど、やっぱりこんなこともあるってことを知って欲しい。

だから書きました。


私は一冊の本に救われました。

【ちいさな天使のものがたり】


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この本は、お腹の中に宿った子ども目線で書かれている絵本です。


同じような境遇の方で、まだ読んだことない方は一度読んでみてもいいのかなって思います。


母親は、自分を責めます。

この絵本は、その気持ちを軽くしてくれました。


6月27日は我が子の誕生日であり命日です。

その事実はかわりません。


人生の中でとっても辛いこの出来事を旦那さんと共有できたことはとても良かったと思います。


長々と読んでくださった方、

ありがとうございました。



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平成29年6月27日 21時53分の出来事でした。


子どもを授かることができたら、元気に産まれるのが当たり前ではないこと、そして妊娠中にこういうことがあるんだということを知って欲しいことは今でも変わりません。

許可がで次第、すぐに子どもを作る予定でしたがなかなかできず、そして、この流産のあと8ヶ月後、まだ傷も癒えぬ頃にリウマチの診断を受けました。

この流産の後にリウマチになったのかな?
もともとリウマチだったから流れてしまったのかな?

考えても答えはわからないし、キリがないのに何度も考えました。


あの日出てきた我が子は16g、片手におさまる程小さかったです。

出てきてすぐは口が開いてたなぁ。

そして息子の目尻の傷も、一年経った今も残ってます。

もう1歳か。
きっとお空で大きくなってるんだろうな*
お地蔵さんに見守られて、
そして私たち家族を見守ってくれてるんだろうな*

今でも、元気に産んであげたかったなって思うことがあります。
けど、私たちの大好きな子ども、大切で何にも変えられない宝物であることにはかわりありません。

お参りした今日の天気は快晴。

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そしてなんと、こんなところにクワガタ!?
我が子が会いに来てくれたんじゃないかと思ったくらい。
そしたらメスもいたので同じ場所に置いてあげました。

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また来年。
これからも見守っていてね。大好き。